正直すっかり忘れていました

 今日は春分の日です。

 本当ならば、母の生家のある室戸方面に行く予定だったのですが、あいにくのお天気で計画は頓挫。お家でまったりな日です。どうも3月も最後に花冷えといいますか、寒が戻ってくるといいますか、暖かくなって安心したころにガツンとした天気がやってくるところがありますね。東京で生活していたころも、そういや3月の末ごろに雪が降ることがよくあって、悩まされたなぁ、だなんてことを思いだしておりました。

 さて、3月で思い出すといえば、もうすっかり忘れていたんですが。

 北村が大学を奇跡的に4年間で終了できて大学サークルのいわゆる『追い出しコンパ』なるものに参加するはずだった日のことでした。「はずだった」と書いたということは、参加はしていません。寝坊したので(笑)。コンパといってもとある女子大(私の通っていた大学のサークルとジョイントさせてもらっていた女子大)の教室が会場だったので、お昼ごろから夕方くらいにかけて開かれるイベントだったのです。で、10時45分くらいに荻窪駅始発の丸ノ内線に乗り込まなくてはならなかったのですが、寝坊しまして(笑)。人を祝うのは好きなんですが、自分が祝われるのが照れくさくて苦手なところがあって(どうやって喜んでいいのかわからなかったり)バックレのふて寝を決め込んだんです。

 とはいえ、なんだか罪悪感みたいなものがあって時計の針が気になってしかたありません。今からでも行った方がいいのかな、やっぱりでも行くのが恥ずかしいな・・・そんな思いでテレビをつけっ放しにしていると(家に時計がなかったのでテレビが時計代わりの生活でした)なんかとんでもないニュースが流れ込んでいます。その時使うはずだった丸ノ内線が大変なことになっています。そうです、『地下鉄サリン事件』です。この時は地下鉄内の火災?ぐらいに思っていましたら情報が『毒ガス』に固まっていきます。時間的には、寝坊したあとすぐに会場に向かっていたらちょうど事件に鉢合わせるくらいの時間だったと思います。それまで、日本ではなかったタイプの事件でした。隣人に対する安心感だけでなりたっていた神話が崩壊した日、だったのかもしれません。

 至近レベルで起こった衝撃的な大事件でしたが、テレビを通して観ている私の眼は他人事でした。そして、そんなニュースも概要がわかってきて納得したところで外に出てみると、外ではそんなこと関係のない世界が広がっていました。中央線に向かってみれば、電車は何事もなかったように運転され、構内でも何事もなかったかのように人々が通り過ぎていきます。エスカレータはいつも通りにニンゲンを運んでおります。丸ノ内線に対する案内だけがあったかな、とは記憶が定かでないのですが、普通に新宿に出てお酒を飲むことができていました。

 あれはいったいなんだったんだろう?

 とふと考えてしまうことがあります。

 だんだん記憶は曖昧になっていますが、私にとっては忘れられない日ですね。